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私の町の博物館の、大きなガラスの戸棚とだなには、剥製はくせいですが、四ひき蜂雀はちすずめがいます。
 生きてたときはミィミィとなきちょうのように花のみつをたべるあの小さなかあいらしい蜂雀です。わたくしはその四疋の中でいちばん上のえだにとまって、羽を両方ひろげかけ、まっ青なそらにいまにもとび立ちそうなのを、ことにすきでした。それはが赤くてつるつるした緑青ろくしょういろの胸をもち、そのりんと張った胸には波形のうつくしいもんもありました。
 小さいときのことですが、ある朝早く、私は学校に行く前にこっそり一寸ちょっとガラスの前に立ちましたら、その蜂雀が、銀の針の様なほそいきれいな声で、にわかに私に言いました。
「お早う。ペムペルという子はほんとうにいい子だったのにかあいそうなことをした。」
 その時窓にはまだ厚い茶いろのカーテンが引いてありましたのでへやの中はちょうどビールびんのかけらをのぞいたようでした。ですから私も挨拶あいさつしました。
「お早う。蜂雀。ペムペルという人がどうしたっての。」
 蜂雀がガラスの向うでまたいました。
「ええお早うよ。妹のネリという子もほんとうにかあいらしいいい子だったのにかあいそうだなあ。」
「どうしたていうの話しておくれ。」
 すると蜂雀はちょっと口あいてわらうようにしてまた云いました。
「話してあげるからおまえはかばんゆかにおろしてその上におすわり。」
 私は本の入ったかばんの上に座るのは一寸困りましたけれどもどうしてもそのお話を聞きたかったのでとうとうその通りしました。
 すると蜂雀は話しました。
「ペムペルとネリは毎日お父さんやお母さんたちの働くそばで遊んでいたよ〔以下原稿一枚?なし〕

 その時ぼく
『さようなら。さようなら。』と云ってペムペルのうちのきれいな木や花の間からまっすぐにおうちにかえった。
 それから勿論もちろん小麦もいた。
 二人で小麦を粉にするときは僕はいつでも見に行った。小麦を粉にする日ならペムペルはちぢれたかみからみじかい浅黄あさぎのチョッキから木綿もめんのだぶだぶずぼんまで粉ですっかり白くなりながら赤いガラスの水車場でことことやっているだろう。ネリはその粉を四百グレンぐらいずつ木綿のふくろにつめんだりつかれてぼんやり戸口によりかかりはたけをながめていたりする。
 そのときぼくはネリちゃん。あなたはむぐらはすきですかとからかったりして飛んだのだ。それからもちろんキャベジも植えた。
 二人がキャベジをるときは僕はいつでも見に行った。
 ペムペルがキャベジの太い根をってそれをはたけにころがすと、ネリは両手でそれをもって水いろにられた一輪車に入れるのだ。そして二人は車をして黄色のガラスの納屋なやにキャベジを運んだのだ。青いキャベジがころがってるのはそれはずいぶん立派だよ。
 そして二人はたった二人だけずいぶんたのしくくらしていた。」
「おとなはそこらに居なかったの。」わたしはふと思い付いてそうたずねました。
「おとなはすこしもそこらあたりに居なかった。なぜならペムペルとネリの兄妹きょうだいの二人はたった二人だけずいぶん愉快ゆかいにくらしてたから。
 けれどほんとうにかあいそうだ。
 ペムペルという子は全くいい子だったのにかあいそうなことをした。
 ネリという子は全くかあいらしい女の子だったのにかあいそうなことをした。」
 蜂雀はにわかにだまってしまいました。
 私はもう全く気が気でありませんでした。
 蜂雀はいよいよだまってガラスの向うでしんとしています。
 私もしばらくはこらえてひざを両手でかかえてじっとしていましたけれどもあんまり蜂雀がいつまでもだまっているもんですからそれにそのだまりようと云ったらたとえ一ぺん死んだ人が二度とお墓から出て来ようたって口なんか聞くもんかと云うように見えましたのでとうとう私は居たたまらなくなりました。私は立ってガラスの前に歩いて行って両手をガラスにかけて中の蜂雀に云いました。
「ね、蜂雀、そのペムペルとネリちゃんとがそれから一体どうなったの、どうしたって云うの、ね、蜂雀、話しておれ。」
 けれども蜂雀はやっぱりじっとその細いくちばしをとがらしたまま向うの四十雀しじゅうからの方を見たっきり二度と私に答えようともしませんでした。

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